プロレス情報局-JJsNow

定年後は山奥の平屋でひっそりと暮らしたい

内藤哲也の退団によるプロレス業界の衝撃

ガッカリする観客


皆さんいかがお過ごしですか。

こんにちは、JJです。

2025年4月16日(水)、新日本プロレスだけでなくプロレス業界に衝撃が走りました。

以下、2選手が新日本プロレスを退団するとのこと。

内藤哲也

 

・BUSHI

 

ということで、今回は新日本プロレスを退団してしまう「内藤哲也選手」について紹介をしていきたいと思います。

 

「BUSHI選手」は別途公開予定です。

 

内藤哲也とは

皆さんご存知。内藤哲也選手。

キャッチフレーズは「制御不能なカリスマ」です。

新日本プロレスに所属する選手の中でも代表的な選手ですよね。

その人気は絶大で新日本プロレスの主役と言っても過言ではない選手。

そんな内藤選手を少し深掘りしていきましょう。

出身地

内藤選手の出身地は東京都足立区です。

生年月日

内藤選手の生年月日は1982年6月22日です。

2025年4月18日現在で、42歳です。

身長体重

新日本プロレスの選手プロフィールからの転記になりますが

・身長:180cm

・体重:102kg

階級はヘビー級ですね。

所属ユニット

新日本プロレス所属現在(2025年4月18日時点)になりますが

「LOS INGOBERNABLES de JAPON(ロス・インゴブレナブレス・デ・ハポン)」というユニットに所属しています。

このユニット、新日本プロレスだけではなく世界でも人気があるんです。

私が実際に新日本プロレスの大会を観戦する際、必ずと言っていい程、外国人の方々を会場で見かけます。なんとその外国人のファン、ロスインゴのTシャツを着ている。

それだけでなく、日常生活においてもTシャツを着ている方々に遭遇する。

 

街中でです。

 

それだけ、このユニットは人気があってファンの方々から支持されている。

内藤選手は、そんな人気ユニットのリーダーなんです。

特徴

ファイトスタイル

ゆらりゆらりと自分のペースを崩さず

かと思いきや

スイッチが入ると途端に技をたたみかける。

自分に有利な試合を展開し

突飛な技、多彩な技だけでなく、クラシカルな技も使用できる。

相手のスタイルに合わせて、いかようにでも展開できる。

どんなに追い込まれていても、一発で形勢逆転できる技をいくつも持ち合わせる。

 

とても引き出しの多い選手であると思います。

発言

内藤選手の発言は常に注目を呼びます。

その場を盛り上げる発言や、皮肉めいた発言。

 

時には所属選手に。

時には他団体の選手に。

時には新日本プロレスのオーナーに。

 

方々に発言を繰り返す。

しかしながら肝心なところは、すぐに言わない。

そこはじらすんです。

「トランキーロ、あっせんなよ」と。

新日本プロレス入団の経緯

高校卒業後、アニマル浜口ジムに入門。

そこで新日本プロレスのテストを受けるための基礎をしっかりと構築します。

 

しかし、右ひざ前十字靱帯を断裂してしまい、最初の入門テストに参加できず。

2回目の入門テストは、靱帯断裂のリハビリで不参加。

3回目の入門テストは、ベンチプレス中に肩を負傷してしまい不参加。

 

2005年11月3日、後楽園ホールで行われた新日本プロレスの入門テストに合格し、入門しました。

新日本プロレスでのデビュー戦

2006年5月27日の草加市スポーツ健康都市記念体育館において、宇和野貴史戦でデビューしました。

トップレスラーになるまで

新日本プロレスに入団後、憧れていた武藤敬司選手にあやかり内藤選手は「ジーニアス」と呼ばれるようになります。

この期待感。

将来のエース候補間違いなし。

 

ヤングライオンを卒業し、高橋裕二郎選手と「NO LIMIT」を結成します。

このタッグが強かった。

連携がとても良かった。

 

あれよあれよと、2008年にIWGPジュニアタッグのベルトを戴冠してしまいます。

※ちなみに現王者はロビー・イーグルス選手、藤田晃生選手組です。

 

王者としての期間は短く、2009年に海外遠征へと旅立ちます。

しかも「NO LIMIT」2人で。

 

2010年のイッテンヨンで凱旋試合。

いきなりのIWGPタッグ戦

ここで勝利し、IWGPタッグの王者となります。

 

しかし2011年に「NO LIMIT」が解散してしまうんです。

タッグ解散後はシングル戦線に入りますが、思うようにいかず。。。

 

2012年に大怪我を負ってしまいます。

 

2012年のG1リーグ戦でジャーマンスープレックスを受けた内藤選手。

その運動神経の良さから、技を受けた際に「クルっと」1回転しリングに着地します。

※バク宙のような要領です。

 

しかし、着地の際に右膝を負傷してしまいます。

 

「右膝前十字靱帯断裂」

 

リハビリは長期間におよびました。

 

当時の「ワールドプロレスリング」の映像では

手術後のリハビリの様子が出ていました。

全く歩けない状況で、本当に復帰できるのか?と懐疑的になったのを覚えています。

 

復帰までに約1年を要しました。

2013年のG1の夏前に見事復帰を果たします。

 

復帰戦は元「NO LIMIT」のタッグパートナー高橋選手でした。

スターダストプレスで見事勝利。

感動しました。

 

その夏のG1(2013年)で初優勝。

このままIWGPヘビー級王者か?と思われましたがイッテンヨンでは惜しくも敗れてしまいます。

 

2014年は悲惨でした。

2月の大阪大会、入場時に観客から大ブーイングが起きます。

ビーフェイスなのに。。。

 

翌年の2015年も同様でした。

2月の大阪大会では、2014年を上回るブーイングを受けます。

半ば呆れたかのような笑顔を見せる内藤選手。

少しヒールぽかったのを覚えています。

 

この年のNJCが終わった後、「耳たぶ」が痛いと言って

次期シリーズを欠場します。

 

実はメキシコのCMLLに遠征してたんです。

そこで、「LOS INGOBERNABLES(ロス・インゴブレナブレス)」に加入するんです。

 

日本に戻り、「LOS INGOBERNABLES de JAPON(ロス・インゴブレナブレス・デ・ハポン)」を結成します。

 

2015年のG1は予選敗退してしまいますが、新たな内藤選手のファイトスタイルは注目の的でした。

ロス・インゴブレナブレス・デ・ハポンとして制御不能なカリスマとなった内藤選手。

 

今までの内藤選手と明らかに異なる立ち振る舞い。

 

ゆっくりゆっくり

 

入場してくるその姿にイライラを隠せない対戦相手と観客

今度は自分の方から観客を煽り、ブーイングを浴びます。

 

まさにやりたい放題。

制御不能

 

次第に観客もその不思議な魅力にひかれていきます。

大阪大会でのブーイングは声援に変わり、気が付けば内藤選手の入場時は「内藤、内藤」と大合唱が聞こえます。

 

メインの試合後のマイクも「ロス・インゴブレナブレス・デ・ハポン」という内藤選手の掛け声に合わせて会場が大合唱

 

あれ、気持ちいですよねー。

 

2016年、NJCで初優勝。

4月10日、優勝者の権利として両国でオカダ・カズチカ選手を相手にIWGPヘビー級王座を賭けた試合を行います。

SANADA選手のアシストもあり見事勝利します。

IWGP世界ヘビー級のベルトを初戴冠。

 

しかし勝利後

あんなに求めていたIWGP世界ヘビー級のベルトを腰に巻くどころか

宙に「放り投げます」

 

ここから内藤選手の活躍が破竹の勢いで始まります。

 

新たなパレハを増やし、憧れていた棚橋選手を越え、

名実ともに新日本プロレスだけではなくプロレス界のトップレスラーの仲間入りを果たします。

必殺技

必殺技は「デスティーノ」

デスティーノはスペイン語なんです。

日本語に訳すと「運命」

どんな体勢からでも繰り出すことができるデスティーノは、まさに試合を決する必殺技。

デスティーノで勝つことは「運命」であると。

そういう意味で命名したのかもしれませんね。

 

この「デスティーノ」に多くのトップレスラーが敗退していきました。

初めてこの技を見たときは、衝撃でした。

個人的に印象に残った出来事

個人的に印象に残った出来事といえば、内藤選手が「LOS INGOBERNABLES(ロス・インゴブレナブレス)」に加入したときです。

急に「耳たぶが痛い」という理由で次期シリーズを欠場すると発言した内藤選手。

気が付けばその姿はメキシコのCMLLのリング上でした。

そのリング上で衝撃の合体をします。

合体先こそが「LOS INGOBERNABLES(ロス・インゴブレナブレス)」なんです。

 

CMLLで「LOS INGOBERNABLES(ロス・インゴブレナブレス)」に加入。

リーダーは「ルーシュ選手」

 

このルーシュ選手、内藤選手が前十字靱帯断裂の大怪我を負ってしまった際の対戦相手なんです。

 

えっ、ルーシュ??

ルーシュって、あのルーシュ?

内藤が靱帯やっちゃった相手の?

 

えー。

その相手のユニットに加入すんのかよー。

 

この出来事こそ、個人的に印象に残った出来事です。

映像で見たときは少し残念でしたね。

あくまで個人的に。

今後について

ここからは完全に個人的な考察になりますのであしからず。

内藤選手の今後は「フリーで各団体にスポット参戦」であると考えます。

近年ではプロレスリングNOAHのリングにもあがっていました。

 

もしかしたら、国内だけでなく海外のリングにあがることも考えられます。

その時に「LOS INGOBERNABLES de JAPON(ロス・インゴブレナブレス・デ・ハポン)」は内藤選手の口から聞けるのか。

 

今後もスポット的に新日本プロレスのリングにあがるのか。

 

棚橋選手の引退ロードに内藤選手はどう絡んでくるのか。

 

入場時の曲は今後も聞けるのか。

 

内藤選手がいなくなった「ロス・インゴブレナブレス・デ・ハポン」の新たなリーダーは誰なのか。

 

いろいろと気になることばかりです。

 

でもここは焦らず内藤選手の動向を見守りましょう。

「トランキーロ。あっせんなよ。」

ということで。